船、車、家、たまには旅行のこと等 備忘録も兼ねて気ままに書いています。

2022/10/23

はじめての対馬・壱岐 長崎“再発見”の旅 (3日目)

event_note10月 23, 2022 editBy Noriyuki Tomimatsu forum2 comments
やることが多くってなかなか筆が進みません。 やっと3日目のレポートです。

今日も早起きして朝食を取りホテルを8時にチェックアウト、荷物は送迎バスの中に積み込んで歩いての市内観光です。
向かったのは金石城跡に建てられた櫓門、昨夜のブラタモリでも紹介されていました。
この金石城は天守閣を持たずこの櫓門が天守の代用だったとか。


この櫓門をくぐったところに建てられているのが「李王家宗伯爵家御結婚奉祝記念碑」韓国併合のあと日韓の融和を進めるために宗家と朝鮮王朝の王女の結婚を祝って建てられたものだそうです。 言わば政略結婚のようなものですが観光ガイドの説明によれば王女は結婚後ほどなく心の病を患い幸せな結婚生活とはいかなかったようです。 なんだか歴史に翻弄された人生だったようで悲哀を感じました。


ここからもう少し奥の方に歩くと宗家の墓がある「万松院」に到着です。


本堂の中ではガイドさんからの秀吉の朝鮮出兵後の国交回復までのいきさつなどを聞き。

国交回復後、徳川幕府の後ろ盾を示すために歴代将軍の位牌が置かれていたということもお勉強。 ガラス越しに撮ったので写りが悪いですが我が家の先祖の位牌と違いさすがに将軍家の位牌は大きいです。

本堂での説明を聞いた後に宗家の墓所に100うん段の階段を上って向かいます。

途中には樹齢600年オーバーと言われる大杉も、年代から考えるとこの墓所が作られる前からここに立っていたんですね。

日韓国交回復に尽力した19代宗家統領の墓は意外に小さくその後の子孫の墓の方が大きいという事実も、


何代目か忘れましたがこちらは大きい、何でも義智の時と後世では仏教の宗派が違うため大きさが異なるんだとか、宗派の説明もあったんですが何だったのか記憶にありません。

ここ万松院で対馬の観光は終わり、ここからバスに乗って空港へ。
帰りの飛行機は来たときと違う機材でANAとORCの共同運航便です。
奥の方が来たときの機材、手前は帰りの機材とツーショットが撮れました。


離陸してから長崎までは約25分の短いフライトですがお天気も良く、佐世保市街地、長崎市街地、最後は久山港に停泊している船仲間の「ひじゅんⅢ」「はなみずき」も眺めて長崎空港に着陸。
長崎市街、良く判らないけど我が家は右端あたりかな

高いマストが見えてるのがはなみずき お隣がひじゅんⅢです

これで旅行会社に100%お任せの対馬・壱岐の観光が終わりましたがもう少し訪問場所の歴史など事前勉強していればもっと楽しめたかもしれませんね。
事前勉強はさぼったものの幸いなことに出発前夜にはブラタモリで対馬その1、対馬に居るときにその2を放映してたので旅行の楽しみを倍増させてくれました。 NHKさんありがとう。



2 comments:

  1. BSフジの植野食堂特別編で対馬・魚旅①②の放送有りこちらもタイムリーでした。天気予報を見ていつも思うのですが壱岐対馬はなぜ福岡県でないかと。福岡県であれば県のキャンペーンで地理的にもっと親しみやすくなると思うのですが残念。JT

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  2. 確かに地理的には福岡県の方が自然なような気がします。 嫁さん「あれ壱岐って福岡県じゃなかったの」というくらいですからね。 住んでる人たちも長崎より福岡の方が身近にかんじるらしいですから。
    ガイドの話によると廃藩置県の際に壱岐は平戸藩(松浦家)が治めていたため長崎県に組み込まれその流れで対馬も長崎県となったらしいです。

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