船、車、家、たまには旅行のこと等 備忘録も兼ねて気ままに書いています。

2025/10/28

東北旅行 25日目 気仙沼市と南三陸町訪問 (東日本大震災遺構・伝承館)

event_note10月 28, 2025 editBy Noriyuki Tomimatsu forum1 comment
 今日は朝から気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」へ向かいます。
キャンプ場は南三陸町に在りますが走り始めて改めて周囲を見ると海に近い平地はセイタカアワダチソウが生い茂っていて何にも使われていません。
東日本大震災以前にはここには人々の生活があったんだろうにと思うと心が痛みます。
海側には高い防潮堤も作られていて海が見えなくなっているところも。
大変だったんだろうなと思いながら伝承館に到着、伝承館の遺構となっている旧向洋高校の廃墟とその真ん前に在る旧高校グラウンドが緑の芝生に変わり美しいパークゴルフゴルフ場になっているのが対照的でした。

パークゴルフ場からはプレイしている人たちの声は聞こえますが伝承館周辺は他の建物もあまり無く人の生活は感じられません、皆高台に移住したんですね。
伝承館に入るとまず最初に当時の映像が大きなスクリーンで上映されます。どこの役所だか忘れましたが役所の固定カメラからの映像、人々のスマホからの映像など、音声も入ってて当時の緊迫した状況と津波の破壊力が実感できます。テレビでのニュース映像などで見てはいましたがその比ではありませんでした。

映像を見た後に実際に後者の中に入ると先ず目に入るのが一階保健室、

この状態に驚いた後に3階まで上ると、部屋の中に流されてきた車が津波の高さと破壊力をまざまざと実感、


他にも写真はたくさん撮りましたが割愛。

伝承館で当時の大変さを実感した後にさほど遠くない道の駅大谷海岸でお昼、私が選んだのは珍しいフカヒレラーメン嫁さんはホルモン丼どちらも気仙沼の名物のようです。


これが入ってたフカヒレ、スープはあっさり目の醤油味で美味しくいただきました。

食事の後は気仙沼漁港へ、着いてまず驚くのは港を囲む高い防潮堤、半端な高さじゃないです。
これがず~っと続いていて外からは港を見ることが出来ません。正直言って鬱陶しいですが次世代を守るためには仕方がないことなんでしょうね。

気仙沼「海の市」の駐車場に車を入れて入口へ、ここにも津波の高さを示す表示板が在りました。

中では海産物など売られていましたが私はほっき貝をゲット、写真はつぶ貝ですごめんなさい。

この海の市3階屋上からt連絡通路で魚市の建物屋上に出ることが出来てここからやっと気仙沼漁港を見渡すことが出来ました。



港の中にはヤマアラシみたいに背中に沢山の串を注したような漁船が在りましたが何の漁をする船なんでしょうね、イワシかな?
奥の方には水産庁の船も、震災当日は無事だったんでしょうか?

港を見てキャンプ場に帰りますが途中で復興市場と言える商店街に立ち寄ってみました。
時間的に夕暮れに近い(東北の夕暮れは早い)せいもあるのか人影はまばらでまだまだ前途多難だなと思わせられました。



周囲には更地が多く住宅はほとんどないのでちょっと歩いて行くって事にはなりませんからm無理からぬことですね。

早い復興をと思いながらキャンプ場に帰り夕食、昼間は雨が降っていたので焚火などは無理かなと思っていたのですが幸いにも雨も止み月が見えてきました。
で、焚火です。
焚火でスーパーマーケットで買ってきた大きな蠣を焼き、あら真っ黒。

中身は大丈夫でした、美味。

道の駅で買ったまぐろのかまもコンロで焼いていましたがなかなか火が通らないので焚火の上に移動、

外での焼き物が終わったらトレーラー内に移動してお刺身タイム、
「海の市」で買ったホッキ貝と道の駅で買った「ほや」です。
ほやは今は旬ではなく冷凍ですが三陸に来たら是非食べたいと言ってたので嫁さんがかってくれました。

下の黒い奴は辛子味噌の紫蘇巻、辛子味噌を紫蘇の葉で巻いて油で揚げたものですがこの地方ならではのもののようです。

盛りだくさんの三陸の幸でお腹が一杯になったところで今日一日が終了です。

1 comment:

  1. ひじゅんⅢ2025/11/06 20:18

    津波のあと、凄まじいですねー。あのときテレビで見ていましたが、その一瞬がここに保存されていたんだと。ただ今後の防災がその巨大なコンクリート防潮堤とか・・どうなのかといつも思います。
    気仙沼漁港の水産庁マークの船、水産庁が漁業監視船として乗組員ごと年契約でチャーターしている民間船なのですが、同種の船があの津波ではそことほとんど同じ場所で大破しています。
    それにしても今回も魅力的な晩酌のお供、いいですねー。ホヤの味も懐かしいですよ。

    返信削除