窓から外人さん夫婦とバイク旅行の女の子二人のテント撤収を見ていてテント+タープで雨に降られた時の苦労を思い出しました。
ほんと、キャンピングカーはこんな時には楽ちんです。
幸いこの二組は雨の中での撤収とはならなかったんですがそれでも濡れたテントを片付けるには苦労している様子でした。
嫁さんの今日の予定は紋別に近いオムサロ原生花園訪問、片道2時間ほどの所です。
途中サロマ湖の脇を通るんでサロマ湖の砂州に行きたいと言ったら「きっと天橋立の二の舞だから後で」と一喝されてしまいました。
「はいはい」ということでオムサロ原生花園入り口のオムサロ・ネイチャー・ビューハウスに到着、花園の中の散策を始めましたが花園の中には大きな望遠レンズ付きのカメラと三脚を持った御仁が数名、すれ違った時に知らない草の名前を尋ねたら「私は鳥の方で花は知らないんですよ」との返事。
皆さんここに来る鳥の写真を撮りに来てたんですね。
考えて見れば花の写真を撮るには接写レンズは必要でも大型の望遠レンズは使いませんよね。
いろんな花の写真を撮りましたが名高いハマナスの写真だけアップしておきます。
いままでなんとなく浜辺の砂地に伸びる背の低い草と思っていたんですが幹に沢山のとげを付けたバラ科の低木でした。
花園の散策を終わったところでオムサロ・ネイチャー・ビューハウスの中にオムサロ遺跡の紹介がしてあり歩いて行ける距離だったので行ってみることにしました。
ここは縄文時代早期から続縄文時代、オホーツク文化時代、擦文時代、アイヌ時代と続く歴史を示す遺跡とのことで208もの竪穴住居の跡が残されているとのこと、数棟の竪穴住居と高床式の蔵が再現されていて私には花よりもこちらの方が興味深かったです。
ただ訪れる人は少ないようで」佐賀県の吉野ケ里縄文遺跡のようにこちらもうまくコマーシャルすればメジャーな観光地になれるのにと思いました。 もったいない。
実はこの遺跡以上に私の興味をそそったのがこの廃船、遺跡に行く道路わきに置き去りにされていましたが木造船で片側は船体の構造を見せるためか切欠いた窓が開けられていました。
この構造を見て見ると基本の船体は2重構造で舷側はさらにその上に3層目の板が貼られていたようです。
この構造からオホーツクの流氷に対した作りと思われますがわざわざ構造を見せるために窓を開けて有るのは以前は何処かの資料館で展示されていたのではないかと思われます。
ここまで朽ちてしまうとどうしようもないんでしょうがもったいないの第二弾です。
初代ガリンコ号と流氷の上用の推進装置が展示されていました。
嫁さんに急かされてここを後にしましたがどうしてもサロマ湖の砂州を見たいので紋別側の角の方へ行ってみることにしました。
行ってみるとさすがに大きなサロマ湖を形作っている砂州で幅も広く道路も先端まで通っていました。
先っぽには展望台と碑が設けられていましたが展望台から反対側の先っぽは工事中のクレーンなどが邪魔してよく見ることが出来ませんでした。
ただ碑を見るとサロマ湖の歴史が書かれていて元々のサロマ湖は人の力で大きく変貌したことが理解できました。
写真はクリックすると拡大するので説明文を読んでください、サロマ湖の歴史が良く分かります。
この後は一目散にキャンプ場に戻って着替えを持ってすぐ近くの網走湖温泉へ、500円で設備の整ったホテル付随の立派な温泉で泉質は塩湯でした。
最後は風呂で着替えた服などを持って網走市内のコインラウンドリーへ、洗濯が終わってトレーラーに戻ったのは既に午後9時を回っていて遅い夕食となりました。
ま、こんな風に時間の融通が利くのもキャンプ旅行の良いところ、ツアーでは絶対にこんなこと出来ませんからね。
今日も1日運転したので疲れも手伝って1杯が良く効きます。おやすみなさい。
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