7月に大村ヨットクラブとHTB(ハウステンボス)の協賛で大村湾縦断レースが計画されていて参加申し込みしたものの荒天予報で中止になってしまいました。
代わりにと言うことで今度はHTBがメインで大村湾縦断ヨットレースが計画され私も参加申し込みしていました。 ヨット仲間に同乗をお願いしたんですが皆さん都合が悪く、嫁さんにも断られたのでシングルハンド(1人操船)での参加です。
SB2は足が遅くってレースに参加するような艇では無いんですがどれほど遅いのか知りたいのと知らないヨット仲間とお近づきになる機会にもなるかもと言うことで申し込んだ次第。
SB2は足が遅くってレースに参加するような艇では無いんですがどれほど遅いのか知りたいのと知らないヨット仲間とお近づきになる機会にもなるかもと言うことで申し込んだ次第。
レース前に上架してフジツボ落としなど船底のメインテナンスをやっておきたかったんですがお天気が協力的でなく出来ずじまいで前日を迎えました。
HTBに2泊する予定の食料品などを積み込み車は橋口さんの駐車場に止めさせてもらって出発です。 と言うのもレース当日の25日は時津町の夏祭りが係船場所に隣接した公園広場で開催されるため車を駐車できません。
食料は嫁さんが準備してくれましたが2泊目はレンジでチンして食べてねとカレーとレトルトのご飯を持たせてくれたので電子レンジも積み込みます、焼酎のお湯割りも簡単に作れますしね。
食料は嫁さんが準備してくれましたが2泊目はレンジでチンして食べてねとカレーとレトルトのご飯を持たせてくれたので電子レンジも積み込みます、焼酎のお湯割りも簡単に作れますしね。
レース参加時は皆さん余分なものは船から降ろして軽くされるそうですが私の場合はその逆、ま、部屋の内装などいじって重たくなってますから電子レンジの重量約8㎏なんて無視できるでしょう。 クルーが乗れば重量増加はこんなもんじゃすまないでしょうし。
港を出て機走しながらセイルをセットして機帆走としました。風具合が良ければ帆走に切り替えて遊びながらHTBまでとの魂胆だったんですが全く風が無いべた凪、ジブを下してメインセイルだけを上げたまま機帆走継続です。
今日のお弁当は良く作ってくれるスモークチキンサンドとパストラミサンド、どちらも泡の出る飲み物が良く合います。
最初はコクピットで食べ始めましたがドジャーで風が遮られて暑いので甲板前方に移動しました。 ドジャーの前面窓を開閉式にした方が快適に過ごせそうなので暇なときにどう作るか考えてみます。
針尾の無線等が近くに見えて来た辺りで風が出て波も立ち始め、受付時間までは余裕もあったのでエンジンを止めてHTBマリーナまで帆走です。
セイルは明日すぐに使うのでメインセイルはブームの上に纏め、ジブ2枚はバウスプリットの落下防止ネットの中に押し込んでおきました。
HTBマリーナのクラブハウスで受付を済ませ、
艇長会議が終わったら受け取ったゼッケンを船に取り付け、
この後は前夜祭のパーティで楽しく過ごし、
パーティがお開きになった頃には花火も上がりHTBの夜が更けていきます。
明日のために早く寝なきゃと思うんですが今日は蒸し暑くってなかなか眠れません。電子レンジが2,3度活躍した後にやっとお休みなさいとなりました。
この花火の屑とか火の粉が風向きによってはマリーナに停泊している船に持落ちてくるということでここを母港としている皆さんはしっかりカバーをかけて対策されていました。
HTBマリーナ、長崎空港行きの飛行機からしか見たことなくリッチな雰囲気です。近所の公園に隣接する陸上競技場で花火大会が開催され近くの花火で綺麗でしたが隣の物流センターに花火の屑や火の粉が降りかかり初回で中止になりました。戦時中、八幡製鉄所に学生の勤労奉仕で行っていた父が防空壕からB29の爆撃を見ていたら爆弾は当たらないけど皇軍の高射砲の破片が落ちてくるのが危なかったと言っていたのを思い出しました。当時、父は釜山の家族と離れ長崎に下宿して中学校に通ってました。長船でリベット打ちの勤労奉仕もあったそうです。8/9は八幡に居ました。小倉が晴れていたら私はいませんでした。JT
返信削除HTBマリーナは時津の港と違ってプレジャーボートそれも大型のやつが並び確かにリッチな雰囲気です。しょっちゅう花火が見れる代わりに難点もあるんですね。
削除長与の花火を船から見た時にはまだ火が付いた屑が落ちて来て嫁さんが大騒ぎしたことがあります。翌日は甲板の掃除が大変でした。
それでも高射砲の弾の破片に比べればなんてことは無いんでしょうけどね。
やはり平和が一番。